「上司から相反する指示が出ること」について書く

タイトル通りです。ふと「こういう理由なのかな」ということに思い当たったので供養するための記事です。

ツイートに書いたように、マネージャーから相反する指示が出されて「じゃあどうすればいいんだよ!?」と思ったことがある人は少なくないのではないでしょうか。
昔からある話題だし、今でも時々見かけるので会社というものが存在する限りは永遠になくならないことなのかもしれません。

自分自身が今年(去年?)からマネジメントの真似事を始めて、振り返ってみるとたしかに「自分で考えて」と言うときと「ちゃんと報告してほしい」と言うとき、メンバーから見てみると「同じような話なんだけどなあ」となっているような気がしました。
(今の会社では自分がマネージャーに対してこういう感覚を覚えたことはほとんどなく、上長はうまいことやっていたけど自分のマネジメント能力が低すぎるだけなのかもしれません。)
ですが、指示を出す側の目線では、自分で考えてほしいときと密に報連相を行ってほしいときでは本当にそう考えて指示を出しています。

端的に言ってしまうと、渡した(つもり)の裁量に含まれている=指示を出したメンバーには自分で解決してほしい相談については「自分で考えて」と言います。
逆に、渡した裁量の中では難しいかもしれなかったり、仕事を渡したメンバーには難易度が高そうな仕事を何も言わずに進めようとしていることに気づいたときは「ちゃんと報連相して」とか言っています。

つまり、 メンバーに依頼した仕事の中でも「自分の裁量で進めてほしい仕事」と「細かく報連相してほしい仕事」があって、どんな仕事がどちらに該当するのか、マネージャーからメンバーに正しく伝わっていないこと が問題の根本原因なのかな、と思ったわけです。

私の会社には社長が発した「伝わったことだけが伝えたこと」という至言(或いはマネジメント層に対する呪いの言葉)があり、自分ではちゃんと伝えたつもりではあったけど、メンバーにはちゃんと伝えることができていなかったということなのだな、と感じました。

一方で、「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざもあり、いくらマネージャーが手を変え品を変え気を揉んでも本人が気づかなければ本当に正しく意図が伝わる日は永遠に来ないのかもしれません。
他人を変えることはできず、本人に気づいてもらうために色々やらないといけないのですが、もしかしたら「人は変えられないと理解しつつも、人が変わるためのきっかけを与え続けること」がマネジメントの仕事の本質なのかもしれないな、と思いました。

気づき云々については、ちょうど今日から読み始めたメタ思考トレーニングという本の前書きにも書いてありました。
前書きだけで良書っぽい雰囲気があるので全然読み終わっていませんがオススメしておきます。


要するにコミュニケーションって難しいね、人類には早いね、って話でした。
早くAI様がなんとかしてくれねーかなー、とも思います。


P.S. もしかしたらこれを読んだメンバーがいるかもしれませんが、特定の誰かがどうこうという話ではないので気にしないでください。