「考える」について書く

いつも通りのタイトル通り。

単語の意味

とりあえずコトバンクを見てみます。

コトバンクのスクショ
考える(カンガエル)とは? 意味や使い方 - コトバンク

まあ、今日では1〜3の使い方をするのが一般的なのではないでしょうか?

ところが、社内で会話していたとき「どうも自分がイメージしている"考える"と相手がイメージしている"考える"にギャップがあるな」と気づきを得ました。
そこで、なるほどこれが「自分なりに考えているんだ」と言っているけど全然そんな風に見えない人がいることに対する答えか。と納得し、このギャップから起きる同じようなコミュニケーションエラーが色んなところで起きているのではないか?と考えました。

前置きはこの辺にして、この記事の本題に入っていきましょう。

「考える」とは

前置きはこの辺にして、と書きつつもう1つだけ前置きをしますが、この記事の中では「課題」と「問題」について以下の定義で使い分けます。

  • 課題:答えがある、或いは答えがあることを知っているもの
  • 問題:答えがない、或いは答えを探したけど見つからなかったもの

では改めて。

あるとき、「なにか解決しなくてはいけないものがあって、ググったら参考文献が10個出てきた。その10個ともバラバラのことを言っていたときにあなたはどうしますか?」という質問をしました。
すると相手からは「どれが一番信頼できそうなソースなのかを考えて、それに書いてあることを実行します」という回答をされました。

この回答はnagashiにとって衝撃であった。

という冗談はさておき、さらに色々と聞いてみたところ、どうやらこれは問題解決のための思考をしているのではなく課題解決のための正解を見つけようとしていることからくる回答になっていそうだとわかりました。

仕事においてわたしがイメージする「考える」という行為は、「問題解決のための答えを捻り出す」ことだと思っています。
一方、この回答をした人は「課題を解くことができる正解を探す」ことを「考える」ことだと思っていたわけです。

先述の通り課題と問題は別のものであるし、これはいうなれば「学校のテストの選択問題に解答する」ことと同じアプローチをしているのです。
しかし、現実に仕事で解決しなくてはいけないものは往々にして答えがない問題であり、色々な要素を考慮しながら決断を下す必要があります。

少し脱線。これは受け売りですが、判断と決断について以下のような違いがあります。

  • 判断:
    • いくつかの選択肢の中から選ぶ
    • 客観性のある論理や根拠が提示できる
    • 同じ情報を持っているなら再現性があり、誰でも同じ結論が出せる
  • 決断:
    • いくつかの選択肢の中から選ぶ
    • 前提条件にプライオリティをつけて選ぶ
    • 同じ情報を持っていても違う結論になる可能性があるし、個性に依存する

つまり「課題を解くことができる正解を探す」のは「判断」していて「問題解決のための答えを捻り出す」のは「決断」している、という違いがあるとも言えます。しらんけど。

と、ここまで気づいたところで、「もっと自分で考えるようにしてください」という自分からのフィードバックに対して「自分では考えてるつもりなんです!」という返事が来ることに対して強烈に納得しました。

自分「もっと自分で考えるようにしてください(答えが見つからない問題に対して自分で決断してほしい)」
相手「自分では考えてるつもりなんです!(課題の答えがどれになるか判断するための材料を探す努力をしている)」

というコミュニケーションになっていたわけです。

これではコミュニケーションエラーが起きるのは仕方ありません。
自分は「こいつ考えてる考えてるって口だけじゃん」となりますし、相手は「ちゃんと考えてるのになんでわかってくれないんだろう」となるでしょう。

そしてこのようなコミュニケーションは思い返すと何度も見かけたことがあるし、色んなところで同じコミュニケーションエラーが発生しているのではないかと思っています。

まとめ

  • 仕事において、nagashiが思う「考える」は「模範解答がない問題」に対するアプローチであり、何を答えとするか「決断」するもの
  • 今回の相手が思う「考える」は「模範解答がある課題」に対するアプローチであり、何が回答なのかを「判断」するもの
  • この認知のギャップがコミュニケーションエラーを起こしている
  • コミュニケーションエラーが起きているとお互い不幸なだけなのでちゃんとギャップを埋めましょう

※わたしの意見が正しいという主張ではなく、ちゃんと共通認識が取れていれば問題ないと思います。


ということで、今回は「考える」について書きました。いかがでしたか?
それこそ子どもの頃から当たり前のように使っている言葉ですが、そのような当たり前に使われている言葉でもコミュニケーションエラーが発生しうるということが学びになりました。

他の当たり前のように使われている言葉でも同じことが起きるかもしれません。
ここまで読んだ人も、もしかしたら心当たりがあったのではないでしょうか?

マネージャーになってからこんなことを思案する時間が増えてきていて、何も考えずにTerraformのコードを書いていたあの頃が懐かしいです。